紫陽花は梅雨に咲く
紫陽花の花が咲く時期は、大体梅雨の時期。
狂い咲きで秋に咲く事はあっても、まさか年末年始には咲かない。
そんな年末年始に、家に篭ってアジサイをつくっていた。
狂ったアジサイ
紫陽花を作りたかったのではない事は確実で。
紫陽花が綺麗に玉の形を創り出す様を思い出しはしたが、
花自体には興味がなかった。
それゆえ、虚構の花の形になっている。
むしろ、これを花だと認識するのを拒んでいた。
日常に潜む不気味な一見綺麗なもの
例えば、
私たちは、良心的で人と共感するし感動するし悲しみもする。
とても良心的なので、醜い部分は無意識に見ることを避ける。
お互いに良い関係を持っていたいので、お互いに無視し合う醜さ。
それは、とても常識的で理性的で自然で、
“そうあるべき” と言う以前に “さようである” 。
とても、良い状況だ。
でも、知っている。
醜いのだと。
それゆえ、微妙なバランスが崩れてしまうと、美しさに隠れた醜さが露呈する。
醜さを内包する美しさ
紫陽花は美しい。
美しい玉の形を連続させて、慎ましやかな形の連続は空気の湿度と濃度を際立たせる。
“正しい”時期に、”正しい”土地で、”正しい”降水量で、”正しい”環境では。
さて、それを想いつつ、
年末年始に電気ストーブで体温を保たれ、お気に入りのデスクライトに手元を照らして制作したアジサイは、
“醜さ”を敢えて直視する自虐的な意志の下につくられた作品は、
なにやら頼りなく、力なく。
アジサイ・Ortensia
H25W20D18(cm) 2004年
油土, 樹脂粘土, 針金 等