
Lo so, non ci si capisce nulla! Ma è così, mica tanto facile.
このサイトは日本語で書かれていますが、日本語であれその他の言語であれ、誤読や誤解を前提としています。
20代の頃、自分自身の思考があまりに日本語に依拠しており、それが制作にどの程度影響をするの興味があり、イタリアに留学をしました。
時は過ぎ、少しは母語ではない言語に親しみが覚える程度にはなりましたが、結局のところ母語の拡張であるような、領域が広がりはするものの根本は母語的なものを動力として言語化が行われるような気がします。
現在AI翻訳の精度が上がっており、以前のような滑稽で面白い機械翻訳は残念ながら見られなくなってしまいましたが、機械的に翻訳されたものであれ人間が知識をもって読み下したものであれ、完全な翻訳はありません。
言語理解と使用方法、比喩の元となる宗教的歴史的背景に大きな違いがあり、例えば「暑い」と言う時に思い浮かべる湿度や環境も違います。
そもそも、同じ母語の使用者同士でも、それぞれの環境や遺伝子が違えば、一卵性双生児であったとしても、完全なる理解は存在しません。
では、視覚的な芸術作品はどうなのか。
同様かそれ以上に誤読、誤解の極みでしょう。
美術史を学んだか、象徴の意味を知っているのか、その素材を実際に見て触ったことがあるのか、
言語以上に共通理解は難しいながらも、その中に共通の理解が何かしら発生するのも面白い点ではあります。
作品タイトルの二言語表示について
日本語は言わんとしつつも実際には言わないことを、イタリア語は何かと言語的に詳細に説明しがち、という違いが、なんとなしに現れるのではないかと期待しつつ、
作品タイトルは『日本語・イタリア語』の形式です。
また、合法的にイタリアに暮らしておりますゆえ、外気はイタリアなのですが、自分自身は治外法権だと思っていますので、どうしても混在しがちです。
つまり、
手先以外は不器用であることこの上ないです。努力はします。