手作業は生来好きだ。
手というものは、そもそも神経的に脳に近いらしく、
随意運動ではあってもあまり意識はしないでも使えるものである。
おでこを触る髪の刺激で痒い箇所を無意識に掻いていたりもするし、
タイピングをしている時もキーボードを打つ事よりも文章を考えている。
手作業で何かを作っている時は、純粋に楽しい。
手を使用した事を意識した。
上記のように、手作業は好きなので、手作業の仕事も問題がないのかと思っていた。
彫刻学科の学生がよくやるアルバイトとして造形屋で仕事をさせてもらった。
大学の先輩が経営する小規模の造形屋で、非常に良くしていただいた。
学校では使わない実践的なテクニックなども学ばせていただいた。
非常に楽しかった。
しかし、自分のものしか作った事がなかった自分の手が違和感を訴えていた。
ほう、なんとも我儘な事だ。
そこに折り合いをつけらぬものか。
お金を稼ぐとは、どこかで折り合いをつける事とは違うのか?
進路の定まらない甘やかされた大学生は、そんな我儘を訴える手を持て余した。
なので、手を納得させ、自覚させる為にこの作品を制作した。
工業製品も人の手によって作られている。
どんな無機質に見える工業製品であっても。
有機的な形態であるかどうかではなく。
使用した手・Mano sfruttata
H4W28D27(cm)2001年
ピンク大理石