受容器 – ジャック・デリダの書籍を齧った時期
受け入れる受容器自身が変容し続けていく様を考えていた。
しかし、今では内容を忘れてしまい、
その有機的に分節しつつ常に自らの形態を変化させる動きを伴う姿を思い起こすのみである。
そもそも”受容器”(khôraコーラ)はプラトンの提唱した概念であるらしく、
デリダがそれを引用したのかどうかすらも記憶が怪しい。
ポストモダンがアカデミックだった時代
ジャック・デリダやそのあたり、ポストモダニズムに何故興味を持ったのかというと、
芸術学研究だったかの授業で紹介された「千プラトー」(ドゥルーズ/ガタリ著)、
その他いくつかの概念との出会いが重なったからだったと思う。
あの頃は心理学なんかも流行っていて、心理学講義は大学で一番広い講義室で開かれていた。
精神分析学などについても、ラカンと現代美術を絡めたような取っ付きやすい書籍やらが本屋で平積みになっていた。
20年程経って振り返ると、
ポストモダンが実際に流行ったのは、今から20年前の更に20年前。
トータルして今から約40年前の言論界の流行に影響された当時の若者が、時を経て先生になったりして、
先生方の真剣に探求した事が時間差で講義として伝わったという形だったのかもかもしれないとも思う。
つまるところ、とある影響を受けた時代の影響を受けた、今から見返す過去の事象。
何重にもフィルターのかかった私の記憶の中のポストモダンとは、なにやらもう既に実態を失っている。
足場を失った受容器の場合
過去の事象から現在の何かを見る事によって、
忘却の彼方へ流れるばかりの過ぎ去ったモノだけではなくなるのではないだろうか。
受容器・khôra
H75W100D60(cm)2003年
小松石,造花,ビーズ