幼稚園での工作、ブロンズ粘土。
自分の顔をブロンズ粘土で作ってみよう!という工作の時間が幼稚園生の頃にあった。
ブロンズ粘土は扱いやすい素材だけれども、幼稚園生にとっては思い通りにならない硬い素材だった。
顔の中で一番出っぱっている鼻をなんとか作ろうとしていて、
ごにょごにょしていても難しく、先生に頼んでちょっと粘土を引っ張ってもらった。
そうしたら粘土の真ん中にピラミッドを鋭角にした感じの出っ張りができた。
それをどうにか鼻にしようとしても鋭角ピラミッドの原型が残って、やたら鋭角な鼻になってしまった。
私の鼻はどちらかと言うと鋭角だけど、そこまで鋭角でもなかった。
ブロンズ粘土を思い出す。
研究生時代、ブロンズ粘土色のイメージがぴったりな、かなり苦手な同級生がいた。
色々特徴的な人で、彼の顔がドット絵のGif画像でできた深緑色の鬼にそっくり、と、
鬼のような想像力を働かせてしまっていた。
その想像が心情的にも倫理的にも酷かったもので、誰にも言わなかった。
なので、彼の鬼顔を作りたくなった。
半乾きの時に磨くと深い緑色になる、ちっともブロンズっぽくは仕上がらない謎の魅力的商品、ブロンズ粘土で。
結果、あまり良い出来にはならなった。
というか、ドット絵のイメージには敵わなかった。
話している人の顔を見る、凝視する。
再び時を遡り、小学校3年生くらいの時の記憶。
担任の先生が「話を聞いている時は、相手の目を見ましょう。」と、道徳かなにかの授業の時に言った。
それまで話を聞く時の自分の視線など考えた事がなく、どこを見るかを初めて意識した瞬間だった気がする。
そんな「話を聞いている時は、相手の目を見ましょう。」と言っているのは先生自身なので、
「〜相手の目を見ましょう。」という音声を聞くと同時に先生の顔をまじまじと見た。
多分クラスの全員が、「聞いています!」と言わんがばかりに先生を凝視していたと思う。
まじまじまじまじまじまじ、私もちゃんと見た。
見るべき目の乗っている顔、顔の上に乗っている目、
私たち生徒が見るべき目は1セット、先生を見る目は31セット、
先生は誰かの目を見ているのだろうが、こちらを見てはいない。
それでも更に先生を凝視する。
そしたら、目をわずかでも逸らす事ができなくなった。
見るべきは目なのか、視野の中に含まれる先生全体か、顔なのか、口なのか、、先生の目はこちらから直接見えない。
先生をひたすら凝視していると、その顔に穴が開いてしまうような感覚を覚えた。
正直に、どう顔を見ているか?
私は人の顔を記憶するのが苦手だ。
身近な人や、直接喋った事のある人の顔は、その人の全体の雰囲気と共によく覚えている。
ただ、単純に顔のパーツを記憶するのが苦手だ。
美人?不細工?美男?整った?バランス?
一般に美しいと言われる人を見ても、見ただけでは何の価値もなく消えてしまう。
そして、”美しい顔”を持った友人を、特に”美しい友人”と思った事もない。
“その顔をした友人”というその人の構成要素の一つではある。
そして、顔に穴が空く
研究生時代、友人と話をしていた。彼女は仲の良い友人。
なんとなしに、彼女の頬のあたりを話しながら見つめていた。
ふと、「話を聞いている時は、相手の目を見ましょう。」という声が響いた気がした。
口をあまり動かさずに話す癖のある彼女の頬のあたりから、
顔には穴が開いていった。
それでは心情的にも倫理的にも酷いので、
リボンで飾ってみた。
生々しい粘土の柔らかさをそのまま残したくて、磨いて深い緑を出す事はしなかった。
幼稚園生の時とは違い、ブロンズ粘土は柔らかかった。
あなたの顔には穴があいているだろうか、あなたは相手の顔に穴を見る事はあるだろうか?
あなたの顔に穴があいている・Foro nella tua faccia
H10W18D20(cm)2003年
ブロンズ粘土, リボン