嫌いなもの
その “もの” が原因で拗れたしまった性格、と思っていた。
“もの” に付随する記憶が私の心をいつでも刳る事ができる。
いつでも私の心は削られていた。
当然、”もの” が嫌いだった。
大学生活
その頃、大学生活は大変充実しており、楽しく新鮮な毎日を送っていた。
彫刻学科の同級生はそれぞれに個性のある人たちで、
没個性をしておかないと日常生活に困ってしまう強迫観念でも持っていたかのように自重していた自分と、共通項があるように勝手に思った。
受験が待ち構える時代も終わったのもあり、割と気楽に過ごすようになった。
そして、自重しすぎる影響でスキンヘッドを試すような謎のティーンエイジャーでもなくなっていた。
(スキンヘッドは是非人生で一回はやってみるべき事だと思う。特に女子。)
石彫と小平野外彫刻展
当時のムサビでは、1、2年生の基礎課程で与えられた課題を様々な素材を一通りこなしつつ一巡りするようなカリキュラムだった。(今はどんなか知らない)
すぐに技術的に習得できない石彫は大学3年生から選択した者のみ実践、というのが通常だった。
授業が始まって数ヶ月目あたりで、毎年『小平野外彫刻展』なるものを学生が主体となって開催しているのを知った。大学近くの小平中央公園に学生が制作した作品を展示するというイベント。
学校で課題を与えられて制作するものとは別で、自主制作、素材もテーマも、展示場所も公園内で自分で選ぶとういもので、面白そうだと参加を決めた。
デッサンをぐるぐるしつつ、白いキノコのようなものを作るには大理石がいいと思った。
なので石彫をしてみたいと言ってみた。
当時、石彫ができるのは彫刻研究室ではなく、共通彫塑研究室という別管轄の場所。
伝え聞いたところによると共通彫塑研究室は、「ヤバい。」「超厳しい。」とのことだった。
なんだか良く分からなかったけれども、取り敢えず凸した。
そうしたら、すんなり受け入れていただけた。
「やってみたい!」という学生については学科に関係なく門戸を開いていて、親身に教えてくれる場所でもあるんだけれども、「そらあかん、死ぬ」という作業もあるので、ヘラッとしていると怒られるというのが実際。
それから大学生活の時間の大半を、この石彫場で過ごすことになった。
石での制作
粘土などとは違い、石での制作は初心者にとって時間がかかる。
目の前の大理石は思い通りにはならず、その存在だけで美しい結晶がキラキラしている。
ノミ跡は白く無様だ。
それほど大きくはない大理石の塊は、とてつもなく大きな岩壁のように見えるようになった。
熱中して毎日作業をしていたら、当初作ろうとしていた形は頭の中から消え、石自体を見るようになった。
中に何かがあるような、それを大切にしつつ、大事なものをノミで傷つける。
傷は深くなり、大理石の塊の傷部分を更に深く、表と裏から掘り進め、”それ”を切り離した。
その切り離したものが、文頭の、私の”嫌いなもの”である。
ちぎれて、その場に落ちた。
ちぎれた嫌いなもの・Il coso strappato
H25W52D17(cm)1999年
大理石